1.東アジアの大気汚染の実態と動向

2.日本近海の離島、船舶における大気観測

3.海洋からの生物起源硫黄化合物の濃度分布と気候変動への影響





1.東アジアの大気汚染の実態と動向

【研究目的】
 地球環境に関する研究が進むにつれて、想像を越える微妙にコントロールされた自然界 のバランスを人間活動により破壊している現状が明らかになってきた。CO2による地球の温暖化、フロン によるオゾン層の破壊、大気汚染、酸性雨、富栄養化による赤潮の発生、放射性廃棄物、有害物質によ る土壌・海洋汚染、地球の砂漠化と言った様々な環境問題が生じており、今や“環境問題”は、国際協 力による地球規模の問題として捕えなければならない時代となってきた。
 大気中の硫黄酸化物は、窒素酸化物やオキシダント等と並ぶ有害な大気汚染物質であり、その放出量 は、近年、石炭・石油等化石燃料の消費量の増大に伴い増加の一途をたどっている。特に経済発展に伴 う工業化及びエネルギー消費の著しい東アジア地域における硫黄酸化物の放出量は、年間2千9百万トン と世界最大であり、単位面積当たりの放出量の推定では、中国の華北や韓国等の東アジア諸国において 年間5トン/km2を上回ることが推測されている。 更に、 中国を中心とした東アジア地域で放出された膨 大な大気汚染物質の一部が偏西風により日本近海へ輸送されることが報告されている。今や“東アジア 地域の大気環境問題”は、21世紀の大きな国際的環境問題となってきた。
 この様な“東アジア地域の環境・エネルギー・経済の問題”の実態を把握し、その対策を提言するた めに、1998年に、中国・清華大学と慶應義塾大学との共同研究が開始された。双方の大学において“東 アジア地域の環境・エネルギー・経済の問題”を研究する3E研究院が設立され、双方の大学の“環境 ・エネルギー・経済”分野の多数の研究者が本共同研究に参加している(詳細は、慶應義塾大学・3E 研究院研究プロジェクトHPを参照)。 当理工学部環境化学研究室も3E研究院研究プロジェクトに 当初より参加し、“3Eに関する基礎データの共同整備の研究”の中で、清華大学環境工学科・賀教授 の研究グループと共同研究を行ってきた。具体的には、中国北京市の大気環境の実態を調査し、北京市 の大気環境の効率的なモニタリングシステムの開発と構築を進めることを研究の目的としている。


【研究組織】
慶應義塾大学理工学部・環境化学研究室清華大学環境工学科・研究グループ
      田中 茂   教授      賀 克斌  教授
      奥田 知明  専任講師      馬 永亮  教授
      岡本 和城 大学院生・修士課程      楊 復沫  研究員


【研究内容】
 北京市では、現在、約10地点で自動連続測定装置による大気汚染物質のモニタリングが 北京市環境保護局により行われている。 大気汚染物質のモニタリング地点を最終的に24カ所に増やし、 全市をカバーする予定である。しかしながら、北京市の広大さに対して、大気汚染物質のモニタリング 地点数が充分であるとは言えない(東京都では、 67カ所のモニタリング地点が整備されている)。こうした 状況の中で、 慶應義塾大学理工学部から送付した大気粉塵サンプラー及び降水サンプラーを清華大学環 境科学科の校舎屋上へ設置し(右下写真参照)、清華大学の研究グループにより大気粉塵及び降水試料の 採取が2001年3月より開始され、 大気観測データが蓄積されることとなった。採取された大気粉塵及び 降水試料は、 慶應義塾大学理工学部において化学成分の分析が行われている。 又、 2001年9月に、 大気粉塵 濃度(PM10、 10μm以下の大気粉塵)の自動連続測定装置を清華大学環境科学科の校舎屋上へ設置し、大気粉 塵濃度のリアルタイムでの測定が開始された。
写真 清華大学 賀教授の研究グループ写真 清華大学屋上サ ンプリング地点


 下図に、2001年9月28日より測定を開始した北京市(清華大学環境工学科校舎屋上)での大気 粉塵濃度(PM10)の測定値(1日平均濃度)を示した。

北京市で観測された大気粉塵濃度(PM10)は、 2001年 9月1日〜2007年7月22日の期間、 平均値で154.1μg/m3 (n=2088)であった。 同期間の横浜市での大気粉塵濃度(PM10)の平均値 35μg/m3と比較して約4倍も高い濃度となった。 日本における大気粉塵濃度の環境基準値は、 1日平均値で100μg/m3であり、 北京市においては、 ほとんどの期間が日本の環境基準を上回る大気粉塵濃度が観測された。 特に、 10月中旬以降、 数百μg/m3を 越す極めて高濃度の大気粉塵濃度が観測されたが、 10月中旬以降に北京市では暖房が入る時期となり、 暖房の燃料に使用される石炭の燃焼から発生する煤塵の影響が強く現れている。 又、2002年3月、4月には大気粉塵濃度が1000μg/m3を越す記録的な黄砂現象が北京市で観測された。
 大気粉塵試料中の種々の金属は、 大気粉塵の発生源を推定するのに有効なトレーサーとして使用されている。 例えば、 ヒ素(As)は石炭燃焼から発生する粒子、 セレン(Se)は石油燃焼から発生する粒子、 亜鉛(Zn)はごみ焼却から 発生する粒子、 鉛(Pb)は自動車から発生する粒子、アルミニウム(Al)は土壌起源粒子に多く含まれており、 これらの発生源からの粒子の大気粉塵への寄与を知ることができる。 そこで、 北京市(清華大学環境工学科校舎屋上)で採取(2001年3月から2006年3月、1574試料)した 大気粉塵試料中の金属を分析し、 その結果から北京市の大気粉塵の発生源を推定することで、 今後の北京市における大気粉塵対策に役立てることを検討している。
 北京市の大気粉塵中金属濃度の分析結果を下図に示した。 比較のため、 日本において大気中の 金属濃度が高い京浜工業地域に隣接する東京都の大気粉塵中金属濃度を合わせて示し、 北京市と東京都における大気粉塵中金属濃度の比を下左図に示した。 図から明らかな様に アルミニウム(Al)、 カルシウム(Ca)、鉄(Fe)、 チタン(Ti)、 マンガン(Mn)と言った土壌起源粒子に 多く含まれる金属、 石炭燃焼から発生する粒子に多く含まれるヒ素(As)、セレン(Se)の濃度が極めて高く、 北京市ではこれらの金属濃度の10倍を越す濃度が観測された。 この結果から、北京市における大気粉塵の 主たる発生源は土壌起源と石炭燃焼によるものと推定できる。  次に、 北京市の大気粉塵中金属濃度の分析結果を基にして、 CMB法(Chemical Mass Balance Method)を 用いて各発生源別に算出した粒子濃度を下右図に示した。 比較のため、 川崎市における各発生源別に 算出した粒子濃度も合わせて示した。 下右図に示す二次粒子(Secondary particle)とは、 直接粒子として大気中に放出されるのではなく、 ガスとして大気中に放出された後、 大気中で種々の 反応により粒子となったものを言う。 代表的なものとしては、 石炭・石油等の化石燃料の燃焼によって 大気中の放出された二酸化硫黄 (SO2)がアンモニア(NH3)と反応して生成する硫酸アンモニウム、 自動車排気ガス から大気へ放出された窒素酸化物(NOX)がアンモニア(NH3)と反応して生成する硝酸アンモニウムが上げられる。 この他、 自動車排気ガスから大気中に放出された種々の炭化水素が大気中で粒子化した有機炭素化合物等が挙げられる。  北京市及び川崎市において大気粉塵中に占める二次粒子の割合は高く、 特に北京市の場合、190μg/m3 の大気粉塵中に50 %を越す二次粒子が推定された。 これは、 石炭燃焼による膨大な二酸化硫黄( SO2)が 排出されているためである。 又、 石炭燃焼により発生する粒子は65.4μg/m3、 土壌起源から発生する粒子は38.3μg/m3、 自動車起源から発生する粒子は53.2μg/m3と推定され、 北京市における大気粉塵濃度の削減には、 これらの発生源の対策が必要である。


図 北京市と東京都における大気粉塵中金属濃度の比較 図 北京市と川崎市における大気粉塵中の発生源の比較


 大気粉塵試料の採取と並行して、 清華大学環境工学科校舎屋上で降水及び 乾性降下物を採取してきた。 降水の採取には降水サンプラー(光進電気工業DRS-154W)を使用し、 降水(湿性降下物) と乾性降下物を分別して採取した。この装置は感雨センサーを備えており、 雨が降ると感知し蓋が開き降水を採取し始め、 雨が止むと蓋が閉じる仕組みになっている。 この装置の導入により降水の採取において一番の問題であった人手の省力化が可能となり、 又、 降水期間外における降水試料への降下煤塵等の汚染を防ぐ事ができる。
 2001年3月から2007年7月の期間中に、 142個の降水試料を採取した。 又、 乾性降下物については、 1週間毎に試料の採取を行った。 降水採取後、 降水試料は採取地点で直ちにメンブランフィルター (MILLIPORE Type HAWP:ポアサイズ0.45μm)で吸引ろ過し、ろ過した試料溶液をポリ瓶に入れ保存する。 又、 乾性降下物は採取装置のロート部分を約200mlの蒸留水で洗浄し、ロートに付着した乾性降下物を 洗い落とした。 この洗浄溶液を湿性降下物試料と同様にろ過した後、 試料溶液として保存した。 降水及び乾性降下物試料のpH及び導電率は、 試料採取後、清華大学においてpHメーター及び導電率計 を用いてそれぞれ測定した。試料溶液中の陰イオン(Cl-、NO3-、SO42-)及 び陽イオン(Na+、NH4+、K+、Ca2+、 Mg2+)は、 慶應義塾大学理工学部においてイオンクロマトグラフにより分析した。



 清華大学環境工学科校舎屋上で採取した北京市の降水及び乾性降下物の 分析結果を下左図と下右図に示した。 比較のため、 1990年より開始し17年間継続されて きた日本の首都圏の11地点での分析結果を合わせて示した。 北京市の降水中化学イオン濃度は、 日本の首都圏の降水中化学イオン濃度に比較して極めて濃度が高く、 特に、 カルシウム(Ca2+)、アンモニウム(NH4+)、 硫酸(SO4 2-) イオン濃度は10倍程度も高いことが特徴である。 これは、 土壌起源粒子及び石炭燃焼起源の粒子及び二酸化硫黄(SO2)の大気中濃度が極めて高く、 降水がこれらの物質を取り込んだ結果を反映している。 従って、 酸性雨の原因となる二酸化硫黄(SO2)濃度が 高いにもかかわらず、 降水の酸性化を中和する土壌起源のカルシウム (Ca2+)イオン濃度も高いため、 降水のpH は5程度と比較的高かった。 下図に示す様に中国南部の重慶、 成都、 広州で問題となっている降水 のpHが4 以下になると言った酸性雨の現象は、 北京市では観測されにくい。
図 中国における酸性雨の状況


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