FUJIHARA LABORATORY  
学生時代のはなし  
昭和61年 工業化学科1回生 
 予備校時代に化学の面白さに触れ(しかも有機化学),工業化学科に入学。教養キャンパスに通う(京都市左京区吉田本町;時計台のある本部とは,東一条通をはさんで向かい側)。生協食堂はどこでも混んでる(鞄で席取りする人間もいつの時代にもいる)。大学にまで体育の授業があると知って衝撃を受ける。工業化学科は55名(うち,女子1名)。「メイアン・大学の化学」で化学を学ぶ。有機の講義もおもしろい。ウッドワード-ホフマン則など。いまはもう忘れてるけど。 
昭和62年 工業化学科2回生 
 専門科目「固体化学序論」(曽我直弘先生)の講義で,初めて固体化学の概念を知る。高校の化学にはなかったから。「化学外国語」の講義では,実際に海外の大学の先生に英語の手紙を送りました(論文別刷り請求)。  
昭和63年 工業化学科3回生 
 学生実験,月〜木の週4日連続!!レポートにはまいった。分析・有機化学系の実験は,学生実験室で。無機・物理化学系の実験は,実際に研究室に行ってやる(本部から17km離れた宇治キャンパスにある研究室も含む)。ここで,またもや進路変更。将来の進路(現在の専門)が決定づけられた(ガラスと超伝導体とを作った)。固体の見た目の美しさと,何の変哲もない真っ黒な物質の示す物性に心惹かれる。固体系の研究室配属を決意。
平成元年(1989年) 工業化学科4回生 
 宇治キャンパスにある作花研究室(作花済夫先生:「ゾル-ゲル法の科学」著者,京都大学名誉教授)に配属される。これは化学研究所にあるため,配属は2名。1986年に高温超伝導体が発見されて3年,世界は超伝導フィーバー。「ニッケル・フェライト(NiFe2O4)湿式太陽電池」と「超伝導酸化物への硫黄置換効果」の2つの卒業研究テーマから後者を選択。当初は,La2CuS4なる物質を作ろうと試みたのだが,なかなかできなくて,La2-xSrxCuO4超伝導体の酸素の一部を硫黄で置換して超伝導特性への影響を調べる。直接お世話いただいたのは幸塚広光先生(現在・関西大学教授)。ここで,高校時代の電気への興味と化学として取り扱う超伝導セラミックスがリンクする。 
平成2年〜4年  分子工学専攻修士課程 
 卒業研究を日本セラミックス協会90年年会(5月,神戸)にて発表。また,Japanese Journal of Applied Physics誌にも発表。幸塚先生が留学でアメリカのUCLAに一年間行ってしまわれたので,宮路史明先生にもお世話いただきました。卒論の続きの研究とともに,ゾル-ゲル法による超伝導セラミックスの合成にも着手。おかげで,修士論文は全く視点の異なる二つの研究を一つにまとめた2章立てになりました。当時は,MacもWindowsもなく,NECの98パソコンに一太郎の5インチフロッピーを差し込んでちょこちょこ文章を打っていた。図はロットリングで手書き。XRDパターンの手書きは苦しかった。修論提出は3/23,前日から36時間,コンピュータの前に座り続けて完成させる。 
平成4年〜7年  分子工学専攻博士後期課程 
 研究というものには実に様々な要素があるんやなぁ,と思いながら博士課程へ。とにかく新しいアイデアを考えて,文献を調査して,あれやこれやと実験をして,新しい事実を発見して,考察して,論文書いて,という3年間。結局,学生時代に8報の論文を書きました。博士論文の基準が6報だったので,なんとかクリアです。D3のとき,当然,職探しをするわけだが,化学誌に載っていた採用広告が私と慶應義塾大学の出会いのきっかけとなりました。横尾俊信先生(京都大学化学研究所教授)がこの広告を見つけて下さいました。そして,平成6年10月,面接のため,初めて矢上の坂を上ったのでした・・・。