慶應義塾大学 理工学部 応用化学科  高分子化学研究室
2014年 「学問のすゝめ」 掲載

高分子を携えて歩む

応用化学科 藤本啓二 

昔読んだ本を、ある時に読みかえしてみると、新しい発見に出会うことがある。同じ言葉が書かれているのに、新しいイメージが想起されて何かつかんだような感じがする。絵画や仏像などの美術品を鑑賞したり、映画や演劇を見たりしても、同じように新しい感覚を抱くことがある。これは自分の内面が変わったためであろうと考えている。お天道様に、「今度はどうだい、少しは学んだかい?」と試されているのかもしれない。

 人が何かに興味を持つというのは素晴らしい。なぜそのことに魅かれたのかは自分の感性に基づくものである。でも、その中に引きずり込まれないように注意しないといけない。対象が自然であれ、人であれ、そこには強烈な真実がある。そのため、感動して自分を失うと、視野が狭くなって謙虚さを失い、ろくなことない。しかし、そんなに興味を持ったことも、ほとんどはいつの間にか忘れてしまう。そんな中で長く忘れないで、奥の方に引っかかっているものがある。なんども繰り返してそのことに触れることによって、それは自分の内側の深いところまで到達して縁付けられた「関心事」となる。すると目の前に新しい世界が啓け、心底惚れてこの道を究めてみたいと思うようになる。齢を重ねるとともに、こうした関心事がいくつも自分の内側に蓄積される。それらは融合し、混沌とした中から形あるものが生まれ出てくる。本を読み返したときに新しいイメージが湧き出てくるのは、自分の内側が磨かれて豊かになったからである。時間をかけて深いところで理解した上で、そこから新たに湧き出るまでに高めていく。これが「学問する」ということだと思う。このような真摯な姿勢および態度を人は善しとする。なかなか難しいことではあるが、宇宙にとって非常に大切なことだと思う。

私の関心事のひとつに「高分子」がある。高分子とは元素が共有結合でつながった鎖状分子のことである。巨大な分子であるがゆえに、小さな分子にはない特性を有している。100人の人間で考えてみると、ひとりずつで存在するのは低分子であり、100人が手をつないで鎖状になったものが高分子に相当する。何本もの高分子鎖が共存すると、それらの間に力が働くようになり、やわらかいものから硬いものまで形あるものを作り出すようになる。実際、身の回りを眺めてみると、高分子を素材とするものが驚くほど多い。

自然の中にもセルロースのような多糖類、DNA、タンパク質など数多くの高分子が存在している。その一方で、どのようにして自然がこのような高分子を生み出したのかは明確になっていない。100人からなる高分子で、個々の人間が入れ替わってつながると、非常に多様性に富む高分子が生み出される。これが高分子に個性を与えることになる。例えば免疫反応では、体内に入り込んだ異物に結合する抗体分子が産生される。抗体はその高分子の特性を活かして、膨大な種類の異物それぞれにジャストフィットする高分子をつくり出していく。このように豊かなものから新しい特性が生み出されていくところに限りない魅力を感じる。だからこそ、高分子という存在と高分子であるがゆえの機能に畏敬の念を抱いて、なんとかその一部でも理解し、自らの内でイメージを膨らませ、新しい「形と機能」を有するものづくりへとつなげようとしている。実に、高分子の世界は素晴らしい。

実際の研究においては、単なる感想や印象を語るのではなく、第三者が検証できるようにサイエンスに則って厳密に語り、化学の力によって実際に高分子をつくり出している。自らデザインして作り出した高分子を役立つ存在へと育てていくという姿勢を尊重している。すぐには役に立たないかもしれないが、いつか花を咲かせる種を世に出したいと願っている。学問を究めていく道は、ひとりだけで歩むものではない。われわれの研究室では、一人ひとりが自分のテーマに持って研究を行っている。同好の士が集い、それぞれの研究を行い、高分子を究めようと磨き合っている。仲良くなり、信じ合い、言葉では伝わらない大切なことを知る。教え合い、語らい合いながら、ゆっくりじっくりと自分の「スタイル」を確立していく。自分を役立つ存在へと高めているのである。

自然に学んで高分子素材を生み出す。その道を究めた人たちによって、また新しい学問の道が続いていくのである。なんと学問とは素晴らしいものであろうか。