慶應義塾大学 理工学部 応用化学科  高分子化学研究室
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2008年

バイオマテリアル学会は生体にかかわる材料を共通の基盤としている。広範囲な分野を包括する学会であるため、お互いの研究基盤を理解しあうことが大切だと考えられている。研究基盤とはどのようなものを指しているのだろうか。また、相互に理解しあうことによってどのようなことが生み出されてくるのであろうか。これまで本誌上では数多くの立派な提言がなされてきたので、ここではささやかな“たわ言”を述べさせていただく。

 私は大学で学生達とともに高分子に関する研究を行っている。教育者であるとは決して思わないが、研究する人でありたいと願っている。現在、高分子科学および高分子化学を研究基盤とした「ものづくり」を通して、バイオマテリアルの分野でささやかながら美しい花を咲かせようと取り組んでいる。学生達はなんらかの縁があって研究室に配属されてくるわけではあるが、そのうちの何人かはバイオマテリアルと出会うことになる。
 私自身も修士課程からバイオマテリアルと出会って縁を結ぶこととなった。その当時は周囲を見回す余裕もなく、早く一人前になろうとしか考えていなかった。また、自分の可能性に不安を感じつつも、自分にしか作ることのできないものを求めていた。見るものすべてが新しく、ものを支配している自然の素晴らしさに感動したものだった。同時にその厳しさに直面して、挫折感を味わった。道に迷い、自分自身の薄っぺらいサイエンスに頼ろうとしたがバイオの世界ではそれさえもが表層的であると思い至り、より深いこと、より豊かなものにあこがれるようになった。このような感覚と経験はとても大切なものである。サイエンスは本来われわれの生活の中から生み出されてきた哲学であるが、現在はその知識だけが一人歩きしているようである。大切だけれども、われわれはサイエンスに従属する存在ではなく、それによって行動を規定されるものではない。なによりサイエンスは行うものである。
 違いはあると思うが、みなさんも同じような道程を通ってきた、あるいは通っていくという共通の基盤を有していると思う。相互理解に向けての共通言語は表面的な知識や理解ではなく、分野は違ってもバイオマテリアル研究に対する熱い想いだと考えている。これはバイオマテリアルに出会ってしまった人すべての研究基盤の根底にあるものである。

「細胞と遊ぶ」は編集委員会から頂いたもので、意味深いタイトルである。遊びとは学問の世界では余り善きこととは考えられていないかもしれない。しかし、私は“遊ぶ”とは物事への取り組み方の境地であると勝手に考えている。この号において、さまざまな細胞を用いたバイオマテリアル研究が紹介されている。それらの中で各人の細胞と遊ぶ境地をうかがい知ることができる。それぞれ細胞をどのように捉えて研究しているかが興味深い。
 生体を対象とする研究は複雑で全体像を見渡して把握することは困難である。ただ、細胞が在りて、生きることをしている様を見ているうちに、その世界では主客の分別などどうでもよくなって来る。つまり、“細胞で遊ぶ”から“細胞と遊ぶ”ようになるのである。さらに枠を超えて遊びの境地へと入り込んでいく。環境を材料学的に変えていくと細胞はどのような反応を示すのか見極める、というと非常に味気ないが、遊びにはこのようなもうひとつの覚めた目(離見)を持つことも大切である。真剣に一緒に遊んだ後は、そこから必ずもとの現実世界に戻ってくることが必要である。豊かなものとつながったままでは何も生まれない。還ってくる過程でいくつもの物事が生み出されてくる。そのためには基本を押さえた上で正しく遊ぶことを習得しなければならない。しっかりとした基本を身に付けていれば、真剣に考えることによってそれらの物事の輪郭がはっきりとしたものとなり、形(マテリアルと遊び方)として残される。暑苦しい人は敬遠したいが、静かに熱い人の作るバイオマテリアルは素敵である。そして真に美しいものは人の手を離れて生き続ける。
 以前にわれわれは細胞表面をポリマーで被覆することによって、細胞の無個性化と個性化を行うという遊び方を提案した。これは細胞の表面を顔とみなして、化学的に化粧をして異物認識などの生体システムをだますという遊びである。われわれと同じように生体もたった一皮でだまされるのである。しかし、そんなに簡単にわかった気になっていいものだろうか。心から細胞の本当の姿(true colors)を見出そうと努めてきただろうか。既存のサイエンスで遊び相手を理解したと切り捨ててよいのだろうか。細胞とはテクノロジーを切り出すための道具に過ぎないのだろうか。もっとサイエンスを極めないといけないのではないだろうか。
 そのためにはなんどもなんども細胞に遊んでもらわないといけない。生物も長い歴史を重ねて自然のエンジニアリングを造りあげられてきたのだから、われわれも時間がかかって当然である。多彩な遊び方が集まり交流し、さらに多彩で新しい遊び方が生み出されていく。このような姿勢と想いを共有して、相互に理解しあうことはとても素晴らしいことである。そして、今よりも生物の複雑さをきちんと捉えて、ゆったりと余裕を持った目で見ることができるようになると、もっと素晴らしいものが生まれてくると信じたい。

 これからのバイオマテリアル研究においては、将来遊び仲間となる新しい人材の確保と育成が大きな課題である。それには従来のリーダー重視の姿勢で本物の人材は育つのだろうか。リーダーでなくとも本物はいるし、リーダー的な人間だけではその世界はまったく味気なく面白味もない。それよりも好きという気持ちを大切に受け止め、使いたいよりも作りたいという気概を持つ若者と一緒に真剣に遊んでいくことが大切だと思う。彼らは遊び方を学び、新しい遊び方を創っていく存在となるからである。
 一緒に研究に取り組んでいるといろいろなことを感じる。素直さとともに、そこに賭けている純粋な必死さに感心するとともに懐かしく思う。教えられることも多く、あとで間違いに気づいて自分の青さに恥じ入ってしまうこともある。先日の大会でいろいろな発表を聞いているうちに、かつては自分も汗を流して実験し、データをどきどきしながら披露していたことを思い出した。自分で手を動かさなくなって久しく、自分で実験したデータが欲しいという思いもあった。しかし、これは大きな間違いであることを学生が気づかせてくれた。プロジェクト(新しい遊び)を考え、現場で一緒に苦しんで考えていながら、一時の感傷に流されて当事者としての自覚を失っていたのである。われわれは、一緒に真剣に遊んで作ったものに責任を持たねばならないのである。なんと無責任で腰が引けていたのか。何より遊んでくれた相手に失礼ではないか。やるからには最前線で情熱を持って遊び、燃え続けていなければいけないのである。これは非常にエネルギーのいることではあるが、リーダーの資質というよりも研究者であることの基本姿勢である。
 流行に遅れてはいけないと浮き足立つことなく、じっくりと考えていく勇気を与えられたように思う。遊ぶことから実に多くのことを学ぶものである。

(2008)

これは日本バイオマテリアル学会の会誌「バイオマテリアル−生体材料−」の2008年1月に掲載されたものです。
理化学研究所の前田先生からの依頼で、少し変わったものをお願いしますということで、恥ずかしながら綴ったものです。2007年11月に日本バイオマテリアル学会が大阪千里で行われました。その際に感じたことをモチーフにしています。自分のバイオマテリアルとの関係、学会とは、大学とは、研究するとは、といったことを敢えてとり上げることにしました。それは自分にとって、ここで総括をして次の一手を考える時期に来ていたからだと思っています。